モヤモヤは、自分でスッキリに変える
どちらかといえは、後回しは、好きではないです。
今やらなくてすむものは、そのうちやればいい、とも思います。今じゃなくてもいいんだから。
でも、今やらなくてもすむものであっても、今やれるし、今やりたいなら、やった方がすっきりします。あとでなくてもいいんだから。
一昨日のブログに書いた件。
中心人物さんは、私に丸投げしてこのまま知らん顔をするのではないだろうか。そうなると、困るのは、中心人物さんではなく、皆だな…。そう思うと、静観を決め込むわけにもいかない気がしてきました。
私の参加を喜んでくれている皆のうちの一人に、連絡を入れてみました。
「中心人物さんから急にこんなふうに言われて、正直なところびっくりして面食らっているんだけど、皆のところには、どんなふうに話がいってるの?」と、
素直にこちらの状況を伝えて、皆の状況を尋ねました。
すると、今度は、その人の方が、話が違う!と、びっくり。
な、なんと。
中心人物さんは、「〇〇さん(=私)が参加したいと言って楽しみにしてるから、ぜひやりましょうよ!」と言って、皆を煽って話を進めていたとのこと。
皆は、「そうなんだー。〇〇さんが望むならそれもいいよねー。そうしようかー」という程度のノリでいるそうで。
私には、「あなたが来るのを、皆が楽しみにしてる」と、言っといて、真実はこれかよ😡です。
どうしてそうなる?
どこをどうつついたら、こういうバカげた展開になる?
このまま何となく事が実現した場合、中心人物さんは、皆も私も満足して楽しむだろうと思っているわけですよね。自分の発案が、誰もが喜ぶとてもいいアイディアだ、と思ってるわけですよね。
皆は、私が望むならやろうか、いう心境でいる。私は、皆が望むならやろうか、という心境でいる。お互いに、相手の温度の方が高くてこちらがそれに合わせているいう思い込みのままでいたら、必ず、皆と私の間に、「…⁇…⁇」という溝が生まれることになるのに。
こんな形で取り持たれたりお膳立てされたりしても、当事者の気持ちや都合が置き去りにされている以上、誰も喜ばないし、必ず齟齬が生じて、いい結果にはならないということが、どうしてわからないのか。
きっと、わかろうとしないから、わかろうとする気がないから、わからないんでしょうね。コミュニケーションをなおざりにして、自分の中で勝手に決めて自己完結して自己満足することが、どんなに愚かなことか、改めて学ばせてもらいました。正しく言葉を交わして、お互いの事情を理解し合うことは、とても大切なことですね。
事は、いずれ機が熟した時にまた検討することにして、この度は取りやめようということになりました。その方との間では、とても気持ちよく話がまとまりました。思い切って確認を取ってみて、本当によかったです。中心人物さんの言葉を間に受けて、「皆が期待して待っている」と信じ込んでいたら、それこそ、私自身が、コミュニケーションを疎かにするタイプの人間になり下がるところでした。
あれっきり、中心人物さんからは連絡もありません。もう、その方がいいかな笑。
スッキリしました。
今日の空みたいに。