いつか海風潮騒へ

とりとめのない平凡な日常を綴っていきます。

雨☂️のあとに、晴れ☀️を

師走になりました。ついに12月。2020年最後の月。赤やオレンジに彩られていた山々は、すでに寂しい冬枯れに。北風になびくススキたちも、寒そうに震えているように見えます。

 

2週間ほどご無沙汰しました。いや、いつも間が空き気味なんですけど💦。特に大きな出来事があったわけではなく、感情のモヤモヤにひとりでどっぷりと浸かってもがいていました😅。

 

私の周りは、ネガティブな愚痴に終始する人ばかりで、このところ、毎日、ほぼ朝から晩まで、ねじれた思考や身勝手な決めつけを聞かされて、げんなりしていました。次から次へと入れ替わり立ち替わり、一人が終わったと思ったらまた次の一人が。とてもよくできたシフト制です😑。おかげで、私の愚痴用のゴミ箱は、常に満員御礼🈵でした💦。

 

愚痴はいいんですよ、撒き散らしても。生身の人間なのだから、この世知辛い世の中を生きてれば、不条理なことや不合理なことに納得できなかったり、困難な状況や解決策が見い出せない状況に途方にくれたりことも多々あるのですから。

 

私が何が疲れるかというと、

その人が、愚痴やモヤモヤをぶちまけたあとには、「んで、さて。この状況は変えられないなら、じゃあ、今ここで自分に何ができるかな?」と考えて、解決に向けてシフトすること、をしないこと。

ただ、あの人がこういう態度に出るから私は不愉快だ、とか、この状況がこうだから私は嫌なんだ、とかのレベルで話が止まって、行き着いた結論が「私の苦労なんてあなたにはわからないでしょ」だの、「私はこんなに苦しいのに、あなたはいいよね、恵まれていて」だの、とばっちりと捨て台詞を受けてその場が終わってしまうこと。これ、結構きつくて、メンタルやられます。こういう時って、何を言ってもダメだから、受け入れないとわかっているから、ただ黙って聞いてあげることにしていますが、結構疲れ切ります。

 

それ、おかしいよ。

それが言えない。

 

相手の感情を収めるために、自分が「そうだよね」と思えないことにも、「そうだよね」と言って、愚痴を聞いてあげないといけない。うーん、サラリーマンと同じですね。

 

ほんとは、

物事も事実も、その人の感覚とは全く別の現実の事象としてそこに在る。

そして、その裏には、そこに関わる複数の人がいて、

そこには、彼らの事情や彼らの人生に基づく価値観や生き方が在る。

 

それなのに、負の感情でがんじがらめになったその人の価値観のフィルターを通して、現実の事象や他者の事情や価値観まで、全てを批判して否定して切り捨てていく。

 

それでは、何もうまくいかないと思うのです。

 

どんなに過酷な状況であっても、自分ができることは何か必ずある。自分に選択の自由が許されている部分が必ず残っている。

 

だから、

 

自分に自分の事情や思いや価値観があるように、相手にも相手なりに、このように行動した事情や思いや価値観が何かあるわけで、それは仕方ないことだから、そかにとらわれていないで、ここで自分に何ができるか、模索しようよ。

 

相手に違う角度からまた折を見て話してみる。

他の人に相談してみる。

自分のやり方を変えてみる。

とりあえず今は流れに任せて、「何もしないで様子を見る」ことを、する。

 

八方塞がりのようであっても、「自分が選べる行動」というのは、いくつもあるのですよね。

 

そして、それによってまた状況も変わる。そしたらまたその時、精一杯考えて自分ができることをする。

その繰り返しが、好転や解決につながっていくのだと思うのです。

 

愚痴をぶちまけたあとは、いつまでも負の感情の渦の中に立ち止まっていないで、視点を変えて、「自分が何ができるか」を見ていってほしいなあ、と思います。

 

自分以外の他者が自分にしてくれることは、大雨の時に傘をさしかけてくれること。他者に、雨を止ませてくれだの晴れにしてくれだの要求したって、そりゃ無理です。晴れは、自分が引き寄せるものなんだと思います。

 

自分もこうありたいと戒めます。今日も、自分に何ができるのか、精一杯選択して行動していきたいと思います。

 

なんだか、抽象的で、正論めいてて、つまらない文章になりました。

 

先日、胃がん手術後の父を、少し遠くのダムまでドライブと散歩に連れ出しました。冬の気配を感じましたが、それでも深い山の中の空気は澄んでいて爽やかでした🍂。

 

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今日も朝は冷えました。でも、昼間は日差しがありそう。晴れるかな。気持ちよく過ごしたいと思います。さて、まずは、洗濯✊