いつか海風潮騒へ

とりとめのない平凡な日常を綴っていきます。

レ・ミゼラブル 観劇

大変ご無沙汰になりました。半月以上、空いてしまいました。

前回の記事の時には梅雨空とにらめっこしていましたが、すっかり猛暑日の連続になり、干からびております。

2階でのお気に入りのクッションの上でのお昼寝が日課の猫も、毎年この猛暑の折には、一旦は2階に上がるもののすぐにリビングにご帰還。「2階は暑すぎてとても寝られにゃいわ😑」といった顔で、「ミャ…」と一声鳴いて、ドアを押し開けてリビングに戻ってきます。そして、暑くて身体の熱を逃がしたいのか、仰向けになって、足をおっぴろげて、リビングのど真ん中のフローリングで寝ています。あらあら…女の子がこんな霰もない格好で…笑。癒されます。

 

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7月下旬以降、とても忙しくしているのですが(その話はまた後日)、その多忙が始まる直前に、大阪に行きました。たぶん、5年ぶりくらいかな。

 

連れがいるので、全く寄り道ものんびりもすることもなく、ただ、ゆっくりと直行直帰の日帰り。梅田芸術劇場にて「レ・ミゼラブル」観劇です。

 

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30年前に帝国劇場で、鹿賀丈史さんのバルジャン、村井国夫さんのジャベールで観て以来、30年ぶり。まして、2013年からは新演出版になっているので、こうなるとほぼ初めてみたいなものですね。でも、帝劇で胸を震わせた感覚と、鹿賀さんの空間に響き渡る歌声と、フィナーレの民衆の歌のシーンの映像は、30年たっても記憶にしっかりと刻まれたまま。やはり、2度目、と主張したいです。

 

昔、千人規模の中学の教師だった私の母は、演劇部の顧問をしていました。私が幼稚園の時、この演劇部の文化祭での演目が「銀の燭台」だったことが、この作品と私との出会いでした。今の時代では考えられないことですが、母が夏休み中に部活の指導に行く時に一緒に行って、中学生の部員たちが演じるのを観ていました。銀の皿を盗んだバルジャンを司祭が赦したことが不思議で、「泥棒したのに何で怒られないんだろう?」と不思議に思ったのを覚えています。それ以来、子ども向けに書かれた本や原作を読んだり、映画を観たり、ミュージカルや映画のサントラを聴き込んだり、ミュージカルの歴代のキャストを掘り下げてみたり。常に、ふとした機会ににいつも近くに在る作品でした。

 

突き詰めれば宗教文学作品ですから、キリストの教えや宗教文化、時代背景についての知識がないと、真の作品理解はできないのでしょう。私もよくわかりません。でも、誰の心にも深く訴えかけたり問いかけたりする作品なので、誰もが、迷いながら揺れながら慟哭の運命を生き抜く姿に、素直に「感動した💦」でいいのかな、と思います。

 

バルジャンは、司祭が彼の過去や生き様をそのまま受容した結果、信念や生き方を変えることができた。そして、愛する存在を守り抜き、慈しみの心を持って穏やかに人生の幕を閉じた。

一方、ジャベールは、バルジャンが彼の過去や生き様をそのまま受容した結果、信念も生き方も変えることができなかった。己が法律そのものであり続けること以外の生きる選択肢を見つけらないことに苦しみ、ブライドと混乱にまみれて人生の幕を閉じた。

 

この対比を、この度、改めてずっしりと感じました。

 

それから、言うまでもなく、エポニーヌ。強さといじらしさと儚さと痛々しさ。彼女という雨が、マリウスとコゼットの愛の花を育てたわけで、彼女の強さ、痛々しさ、いじらしさ、儚さに、素直に涙しました。

 

受容と赦し。

慟哭の愛のバトン。

いっぱい泣きたい作品です。

 

来年は、ついにミス・サイゴンが上演決定。

そして、再来年は、またレ・ミゼラブル

どちらもぜひ観に行きたいです🍀。

 

行けるかな…?

 

いや、そもそも、チケット取れないかも💦。

まあ、希望を持ちましょう。楽しみに。