深い意味のない「たられば」
子育てを振り返ると、思うことは尽きません。
「今」の全ての事象は、自分がその都度選択してきたことの結果なので、納得して受け入れているという感覚は在ります。
でも、あの時こうではなくてああしていたら、今頃どうなっていたかな、と思うことも、やはりあります。
子育ての面だけでなく、自分の生きてきた過程においても、同じように思うこともあります。
後悔、ではない、です。たた純粋に思いを馳せているだけ。
違うやり方や違う道を選んでいたら悩みや問題や怪我や病気にぶち当たらなかったか、と言うと、決してそうではなく、ただ、それらの質や類や程度や場所が違うだけのこと。やっぱり、それらは必ずどこにでも在るし、現れるものです。
結局は、
それらに対応対処して人間(じんかん)を生き抜く能力(仕事力やコミュニケーション能力、学力、気力、体力などなど。時には財力も含みますね)を、自分がどう兼ね備えていて、どうスキルアップさせて、どう適切に使うか、ということが大切なんだろうな、と、つくづく感じます。
何かにぶち当たった時に、動揺したり戸惑ったりしたあとに、
んで、だから、さあどうする?
と、冷静に切り替えて、対処に向けて動けるかどうか、ということ。
人間、これに尽きるように思います。
子どもたちに歩ませる道については、旦那さんと私の間には、明確な違いがありました。
旦那さんは、崖や石がないような舗装された王道を、あちこち探しまくって用意したら、あとはうまくいく、というポリシーの持ち主。一方、私は、目の前に見える道の中からよさそうな道を選んで、その中でもまれながら成長していくのがいい、という主義。
ま、旦那さんは「譲る」人てはないので、節目節目で、旦那さんの意見が優先されてきました。
最大のポイントは、首都圏関西圏とは違って少数派である中学受験をして、地元の公立中ではなく、中高一貫校(子どもそれぞれ、別の学校)に進学したこと。
一貫校はそれなりに特異な環境で、それぞれ、いいこともあった一方で、戸惑うことや納得できないことにも、数多く遭遇しました。
もし、思春期にもっと平凡な環境に身を置いて、平均的に伸び伸びと、たくさんの多様な友達と交わって、「普通」の世界の中でもまれていたら、今頃どうなっていたかなー、今とはまた違った社会的能力が身について、違う性格人格になっていたんだろうなー、なとど、ふと思ったりします。
今、子どもたちはそれぞれ、やはりちょっと「特異」な生き方をしているので、もうちょっと「普通」であってくれてもよかったのにぃ…とも思います。
でも、その一方で、「普通」なんて、どこにもないんだろうな、「普通」って、絵に描いた「理想」だからなー、ということもわかっているし、学校がどんなであれ、親の関わり方が最も成長に影響することに変わりはないということも、認識しています。
ま、一生懸命やってきたんだし、これでいいということにしておきましょう。
長々と書いたわりには、大したこと書いてませんね💦。ただ、自分の中で、一貫校でのことが、よくも悪くも「濃かった」という認識なんでしょうね。
最後に、アゲハのことを。
前回の記事を書いたあと、蛹を見ると、背中に前日までにはなかった黒い線ができていました。羽化がほんとに間近なんだー😮明日の朝かしら?と期待しつつ、2、3時間ほど用事で出かけ、帰ってくると、今度は、蛹全体の形が崩れて、透明感のある茶色に変わっていました。
まさか?羽化した?
顔を近づけてマジマジと覗き込むと、中はすっかり空っぽに。慌てて周りを見回しましたが、アゲハの姿もなく。
羽化って、必ずしも朝方とは限らないんですね。できるものならその瞬間に立ち会いたかったけど。でも、無事に飛び立つことができたようで、安心しました。
たまに里帰りしてきてくれると嬉しいんだけどなあ🦋。
自撮りモードにして床に置いたスマホを覗き込ませてみました。
にゃにかしら?
最近は、週に一度の点滴のおかげで元気にしています🐈。