いつか海風潮騒へ

とりとめのない平凡な日常を綴っていきます。

レンゲとの再会

実家近くで、久しぶりにレンゲ畑を見つけました。

ん?畑ではないですね。田んぼですものね。

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大人になるまで、レンゲはただの雑草で、春になったら田んぼに勝手に生えてくるものだと、何の疑いもなく思っていました。

違うんですよね。レンゲには土壌改良をする力があるので、稲刈りが終わった田んぼにわざわざ種をまいて育てて、春の田植えに備えるのですよね。最近は、優れた土壌改良剤や肥料ができてきたので、おいしいお米を作るのにレンゲの力は必要ではなくなった、ということ、なんでしょうか。

 

子供の頃は、そこらじゅうの田んぼのどこにもレンゲがあふれていて、あまりにも当たり前すぎる春の光景でした。

山から豊かな水をたたえて流れてくる小さな川に沿って、左右に何段もの棚田が連なり、そこが全て、レンゲで埋め尽くされていました。まるで、芝桜のように。小さな私は、田んぼがピンクに染まると嬉しくて嬉しくて、近所の友達と川沿いの土手を上っては、一段ずつレンゲのじゅうたんを走って制覇していました。たまにぬかるんでいるところに足を突っ込んで、粘土のような黒っぽい泥まみれにもなりました。そのニュルッ、ジュルッとした感触は、今でも生の感覚として覚えています。都会の生活にも慣れた大人の今だったら、ぎゃー!最悪!の世界ですが、田舎で育っていた当時は何とも思わなかったのかな。泣きべそをかいたような記憶もありません。(あ、でも、その小さな川に落ちて、擦り傷だらけになって大泣きした記憶はあります笑)

 

レンゲの中を走るのだけでなく、レンゲを摘むのも、友達と競争です。ところどころ、ほんの少し、息をのむほど真っ白な白レンゲが群生していて、それを摘むのは、そりゃもう壮絶な女の闘い?でした。年上の子が多かったから、いつも遅れまいと必死だったような。

両手いっぱいになって持ちきれなくなったら、土手に陣取って工作タイム。茎に穴を開け、次の茎を通す。これを延々繰り返して程よい大きさの円にしたら、冠と首飾りとブレスレットの出来上がり。今度はお姫様ごっこの開演です。

それに飽きたら、最後は、川の流れが早いところまで下って行って、レンゲの輪流し。小さな流れにのまれて見えなくなるまでずっと目で追っていました。

 

今思えば、大草原の小さな家のローラみたいですね。

いや、そんなに品良くかわいくはなかったな。トトロのメイちゃんの方がイメージ近いかも笑。

 

この度、この写真以外にも、数ヶ所でレンゲを見ましたが、遊んでいる子供はひとりも見かけませんでした。

 

そりゃそうよねえ。

今の時代は、ネット、ゲーム、ダンス、習い事、塾。花なんて、田んぼなんて、花飾り作りなんて、誰も興味ないよね。子供だけじゃなく、親の方だって、ね。

それに、昔の田んぼは、勝手に入って遊んでもよかったんだろうけど、今は、そうでもなさそう。

それにそれに。今なら、あんなに周囲に誰もいないような上流の棚田で、暗くなるまで子供だけで遊ぶなんて、もし不審者でも来たら、と思うと、ちょっと怖いです。

 

自分の幼少期が、せせこましさや世知辛さ、息苦しさや身の危険がほとんどなくて、のびのびとした健やかで希望に満ちた時代だったことは、とても幸せなことだったんだなあと思います。

 

春うららの毎日。

うちのレッドロビンも、ずいぶん赤くなりました。

 

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洗濯に励みつつ、花を愛でつつ、つかの間の心地よい季節を楽しみたいです。