いつか海風潮騒へ

とりとめのない平凡な日常を綴っていきます。

母の言葉

なかなか書けませんでした。家族内でゴタゴタしていまして。書くに書けなかったというか、まとまらなかったというか、自分だけの視野が見えなかったというか、そんな感じです。

 

他者に振り回される愚痴のゴミ箱ではなく、自分が自分として生きる毎日の出来事や、その中での他者から切り離された自分だけの思いの記録の場所にしたいと思って、ここを始めました。

 

ここ数日は、あまりに家族にかき乱され振り回され過ぎて、身体も心も奴隷のようで、自分だけの心の有り様を見い出せなくて、ここに記したいと思えることが見つけられませんでした。

 

うーん、こんなことでどうする。

しっかりしようよ。

自分だけの人生、

今日という日は二度と来ないのに。

 

私の実母が昔よく呟いていました。

「おばあちゃん(私の祖母、つまり、母の母)は、私の今の年齢の時にはもっと辛い状況でもっと苦しかった。そう考えたら、泣きたいくらい苦しくても頑張らないと、と思う」と。

 

今、母は、100キロ弱ほど離れた小さな街で一人で暮らしています。元旦生まれの85歳。幸い命取りになるような大きな病はありませんが、あっちが痛いこっちが悪いとしかめっ面をしながら、交通手段もない田舎の古い大きな家で、杖を片手にその日その日を必死に生きています。

 

自己主張が激しく気の強い人で、子供の頃、若い頃は、母に意見したり楯突いたりなどとてもできませんでした。そもそも、そんなこと考えもしなかったというのが正しいかな。自我が目覚めて反抗期を迎えたのは、私が40代でした。遅すぎ笑。険悪になってほとんど会わなかった時期もあり、会えば必ずののしり合いという時期もありました。

 

その紆余曲折を経て、今は、当時の母の言葉通り同じように、「母が私の年齢の時は、もっと苦しかったんだろうし、もっと虚しかったんだろうな」と感じます。ふとそう思うと、なんだか、何でも乗り越えられる気がしてきます。まさか自分がこんなふうに感じる日が訪れるとは、思いもよらなかったです。

 

今でも、母にものすごくムカつくこともあるし、それ、ありえないでしょ!とあきれることもあります。でも、母は母で、山も谷も越えて辛酸なめてきて、自分の宿命を精一杯生きてきたわけで、その結果、今の「母」という人間が在るのだな、と感じられます。正直、大好き!とは言えませんがσ^_^;、一人の人間としてよく頑張ってここまで生き抜いてやり抜いてきたなあと、尊敬しています。こんなふうに感じられることは幸せなことだと思います。

 

家族のことで手一杯で、母のところにゆっくり行けたのは昨年末。お正月はちょこっと顔を出しただけ。来週にはどうにか時間をやりくりして行ってあげたいと思っています。銀行に連れて行ってほしいとか、腐葉土を買いたいとか、机を移動させてほしいとか、言ってるし。桜の時期にも行って、お花見にも連れ出したいな。

 

 

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上が、実家の街の山並み。

下が、私の住む街の山並み。

似ています、ほんとに。

 

窓からこの山並みを眺める度に、一人っきりで自分らしく人生を全うしようとしている母を想います。

 

ご無沙汰してて、ごめん。

毎日、よく頑張ってるね。

顔を合わせたら、喧嘩しちゃうかもだけど、いつも忘れてないよ。

 

私も、あなたの生き様を見習って、自分らしく生きることを忘れないようにするね。